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大阪高等裁判所 平成7年(ラ)594号 決定

主文

一  本件執行抗告を棄却する。

二  抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

第一  本件抗告の趣旨及び理由

別紙執行抗告申立書(写し)記載のとおり

第二  相手方の意見

別紙反論意見書(写し)記載のとおり

第三  当裁判所の判断

一  一件記録によると、次の事実を認めることができる。

〈1〉  本件不動産についての抵当権設定登記は、平成二年四月九日になされた。その被担保債権額は五五〇〇万円であり、損害金の約定利率は年一四%である。

〈2〉  上記抵当権の実行により、平成五年一二月七日、本件不動産について競売開始決定がなされ、これに基づき、同月八日、差押えの登記がなされた。

〈3〉  原裁判所執行官は、平成六年一月一二日、本件不動産の現況調査を行なったが、その際、萩原昌代(抗告人の妻)と面談し、同女より、本件不動産については、所有権の登記はしていないが、抗告人が所有者南栄治から買い受けて入居し、現在、抗告人一家(親子)四人が居住している旨聴取した。

〈4〉  抗告人は、平成六年一月二四日、執行官に対し、平成四年一月一〇日付不動産売買契約書や同日付の領収証等(各写し)を提示するとともに、平成六年一月一九日付回答書を送付した。右回答書の「使用をはじめた理由(根拠・権原)の欄には「土地・建物全部が自分の所有である」との項目「A」に〇印がつけられている。

〈5〉  上記契約書では、抗告人が、平成四年一月一〇日、南栄治との間で、本件不動産を代金三六〇〇万円、手付金三六〇万円を同時払い、残代金三二四〇万円を同年二月二八日限り支払う、所有権は買主が売買代金全額の支払いを完了したときに売主から買主に移転するとの約定で売買契約が締結されたこととされている。

〈6〉  平成六年七月二六日作成の物件明細書には、本件不動産につき「賃借権なし」、備考欄に「抗告人が未登記の所有権を主張して占有している。」と記載された。

〈7〉  上記物件明細書等の書類は、平成七年一月一九日以降原裁判所に備え置かれた。

〈8〉  本件不動産につき、平成七年二月二三日、最高価買受人である相手方に対する売却許可決定がなされた。

〈9〉  相手方は、平成七年四月七日、買受代金全額を納付した。

二  抗告の理由第一について

抗告人は、平成四年一月一〇日、南栄治(債務者・所有者)との間で、本件不動産の売買契約を締結し、同日、南栄治に対し、手付金三六〇万円を支払い、本件不動産の引渡しを受けて入居し占有を開始したと主張し、上記〈4〉の不動産売買契約書や手付金三六〇万円の領収証等(写し)を提出している。

ところで、所有者から不動産を買受け、所有権を取得して不動産を占有し、その所有権移転登記が未了の間に、前所有者の担保権者の競売申立により不動産が売却された場合には、右譲受人(占有者)に対して引渡命令を発することができると解するのが相当である。けだし、右譲受人(占有者)が所有権移転登記を経由していた場合には、優先する担保権の実行による買受人に対しては執行債務者(実体法上の売主)として引渡命令の発付を拒み得なかった筈であり、未登記であるがゆえにこれを免れることは不合理であるからである。

本件では、抗告人は、売買代金全額を完済していなかったため、特約により本件不動産の所有権を取得していなかったのであるけれども、この場合においても、抗告人の占有は、使用貸借契約に基づくものではなく、売買契約の買主としての地位に基づくものであり(抗告人もその妻も買受人・所有者としての占有という意識を有していた。)、買主は本来優先する担保権実行による買受人に対しては潜在的に引渡義務を負うべき立場を承継したものというべきであって、占有者がその権原の保護を受ける正当な利益を有しない場合に当るというべきであるから、上記の事例と同視して、引渡命令の相手方になると解してよいと考えられる。なんとなれば、不動産の買主が所有権を取得し、その所有権につき未登記の場合でも引渡命令の相手方になりうると解すべきであるのに、買主が売買代金全額を支払っていないため特約により所有権が売主に留保されている場合には差押えの効力発生前から権原により占有している者として引渡命令の相手方にならないと解することは売買代金全額支払済の買主の場合と著しく均衡を失して妥当ではないからである。

3 抗告の理由第二について

(一)  本件は、抗告人が、抵当権設定登記以後に、当時の所有者である南栄治から本件不動産を買い受け、その手付金として三六〇万円を支払ったところ、その抵当権が実行され、相手方が本件競売手続において適法に本件不動産の所有権を取得し、その登記を経たという事案である。そうすると、本件不動産について、相手方の所有権移転登記の完了により、抗告人と南栄治との間の売買契約は、履行不能となり、その結果、抗告人主張の手付金返還請求権が生じるという関係にある。してみると、抗告人主張の手付金返還請求権はその物自体を目的とする債権がその態様を変じたものというべきであって、このような債権はその物に関して生じた債権とはいえないというべきである(最判昭和四三年一一月二一日民集二二巻一二号二七六五頁)。なんとなれば、本件においても、もし抗告人主張の手付金返還請求権につき本件不動産に対する留置権が有効に成立するとすれば、相手方は、既に対抗要件を具備し、抗告人に敗れる関係にないにもかかわらず、本件不動産の引渡を受けて名実ともにこれを確保するためには、抗告人が南栄治に支払ったという手付金の三六〇万円を実際に出捐しなければならず、相手方としては、本件不動産を競売手続において入手しても、実質的に抗告人との競争に一部破れたのと同様の結果となり、対抗要件主義の原則にもとる不合理なことになるばかりか、相手方に不測の損害を与え、裁判所による不動産競売手続の信頼を損ねる結果となるといわざるをえないからである。

したがって、抗告人は、売買契約による手付金返還請求権を根拠に留置権を行使することはできない。

(二)  抗告人は、本件不動産について内装等の改修工事を施し、その費用を負担しているので、必要費・有益費等の費用償還請求権を有し、これにより留置権を行使する旨主張するが、仮に工事の施工と費用の支出がそのとおりであるとしても、抗告人の支出した費用が必要費に当ることを認めるに足る証拠はないのみならず、たとえ必要費であったとしても、抗告人は、無償で本件不動産を占有していて果実を取得したというべきであるから、必要費の償還請求をすることはできない(民法一九六条一項但書)。また、抗告人の支出した費用が有益費であるとしても、これによる不動産の価格が増加し、それが現存していることを認めるに足る証拠は存しない。

したがって、抗告人は、相手方に対し、本件不動産について、抗告人主張の必要費・有益費等の費用償還請求権により留置権を行使することができないといわなければならない。

第四  よって、本件執行抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人の負担として、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 山本矩夫 裁判官 笹村將文 裁判官 谷口幸博)

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